答えがどっちでもいいけれど、
死にたいと言う人に、
「どうぞ」とも「ダメ」とも言えない無力さ。
でも、それが本来なのだと思う。
殺人が犯罪なのは、
人が人を殺してはいけないから。
だれにも、他人の運命を決める権利は無い。
けれど、力を以って、従わせることはできる。
結局どこかに力の強弱があり、
それによって他人に介入する。
力は暴力だったり、言葉の説得力だったり、
抽象的には気持ちの強さだったりする。
言うことができても、それはその人の外部のこと。
どの力に従うのかはその人の力と気持ちの強さ次第。
外部か、内部の力。
もし誰かの運命を操れて、
良かれと思う方向へ変えたとする。
それは2年後3年後、本当に良い方向へ進むのだろうか。
そのときはそれで良くても、後々逆転するかもしれない。
チェスと同じ。
10手先まで考えても、11手先でひっくり返ることもある。
11手先を考えても、9手目で終わることもある。
望みどおりの不幸と、望まない幸せ、
先を考えたとき、どちらであるべきなのだろう。
1人は1人であるべきだ。
それでも人は他人を操作したがる。
好きなものを他人に広め、
嫌いなものを取り除く。
誰が決めたのでもないことに従って、
個人の力を弱いと信じる。
死にたがる殺人犯を殺すことは認められて、
自殺がだめなのはなぜだろう。
殺せば死んでもかまわないのですか?
「死刑になりたいから殺した」が
自然な論理になってしまうのですか?
自殺はだめだと強く思いながら、
それでも絶望する人は、
そこへ逃げ道を見つけてしまう気がする。
死んでもいい条件って決まってますか?
それは、人間が決めていいものですか?
人間が人を殺してもいい条件って何ですか?
死刑台も庭の木も同じじゃないですか?
なんでどうして、
自分の願いをかなえるのに、
人の手を借りることになる?
どうして自分でできなくて、してはいけなくて
他人にしてもらわなくてはならない?
この世に生まれるのは自分の意思ではないのだから、
最期ぐらい決めさせてやればいいんだと思う。
でも、そういう人たちの
手をつかんでしまいたいという傲慢。
振り向かせることも戻すこともできない。
何も話さず、少しの間とどめたら、同じ方向へ放す。
結局それだけなのに。
なんで死ぬのが悲しいようにできてるんだろうね。
「死んでもいい人なんていないよ。」
よわい、とても弱い言葉。
Wednesday, 12 December 2007
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment