Wednesday, 12 December 2007


答えがどっちでもいいけれど、
死にたいと言う人に、
「どうぞ」とも「ダメ」とも言えない無力さ。

でも、それが本来なのだと思う。
殺人が犯罪なのは、
人が人を殺してはいけないから。
だれにも、他人の運命を決める権利は無い。
けれど、力を以って、従わせることはできる。
結局どこかに力の強弱があり、
それによって他人に介入する。
力は暴力だったり、言葉の説得力だったり、
抽象的には気持ちの強さだったりする。

言うことができても、それはその人の外部のこと。
どの力に従うのかはその人の力と気持ちの強さ次第。
外部か、内部の力。

もし誰かの運命を操れて、
良かれと思う方向へ変えたとする。
それは2年後3年後、本当に良い方向へ進むのだろうか。
そのときはそれで良くても、後々逆転するかもしれない。
チェスと同じ。
10手先まで考えても、11手先でひっくり返ることもある。
11手先を考えても、9手目で終わることもある。

望みどおりの不幸と、望まない幸せ、
先を考えたとき、どちらであるべきなのだろう。

1人は1人であるべきだ。
それでも人は他人を操作したがる。
好きなものを他人に広め、
嫌いなものを取り除く。
誰が決めたのでもないことに従って、
個人の力を弱いと信じる。

死にたがる殺人犯を殺すことは認められて、
自殺がだめなのはなぜだろう。
殺せば死んでもかまわないのですか?
「死刑になりたいから殺した」が
自然な論理になってしまうのですか?

自殺はだめだと強く思いながら、
それでも絶望する人は、
そこへ逃げ道を見つけてしまう気がする。
死んでもいい条件って決まってますか?
それは、人間が決めていいものですか?
人間が人を殺してもいい条件って何ですか?
死刑台も庭の木も同じじゃないですか?

なんでどうして、
自分の願いをかなえるのに、
人の手を借りることになる?
どうして自分でできなくて、してはいけなくて
他人にしてもらわなくてはならない?

この世に生まれるのは自分の意思ではないのだから、
最期ぐらい決めさせてやればいいんだと思う。
でも、そういう人たちの
手をつかんでしまいたいという傲慢。
振り向かせることも戻すこともできない。
何も話さず、少しの間とどめたら、同じ方向へ放す。
結局それだけなのに。

なんで死ぬのが悲しいようにできてるんだろうね。

「死んでもいい人なんていないよ。」
よわい、とても弱い言葉。

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